トルコ紀行

種まきおばさんの不思議旅

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その3、パムッカレ・ホジャおじさん・コンヤ



ピンクの線の部分


見えて来ました。これがパムッカレの石灰棚。
雪が積もっているみたい。

トルコ語で「綿の城」。長い年月を経て凝結した温泉の石灰分が、まさに綿の城のような石灰棚の景観を生み出したという












正面。ふもとから見る。バスはこれより迂回して上まで登って行きます。

ホテルを8:00出発で、まだ朝8:20というのに駐車場にはもう数十台の観光バスが来ていました。


















ヒエラポリスの遺跡
石灰棚を見に行くためにこの遺跡の中を歩いていきます。両者は直ぐそばにあるというか一体化しているとも見えます。
温泉のわき出る、美しい景観の石灰棚のそばをあえて選んで古代の人びとは町をつくったのでしょうか。
この美しい、神秘的な風景を、日々、見ながらそこに住むということは最高の贅沢だったのではないでしょうか。時間の関係で私たちは遺跡のはしっこを通っただけ、博物館にも入りませんでした。あとで本をみますと、広い保存状態のよい円形劇場もありました。
大きな円柱の神殿もあり、まさにギリシャ、ローマの文化がここにも花開いていたことになります。
トロイ、ベルガモン、エフェソス、そしてこの内陸部のヒエラポリス、さらに南の地中海沿岸アンタルヤの町の周辺にもいくつも同じような都市国家の遺跡(ペルゲ、シデ、アスペンドス、クサントスとレトーン)があります。ギリシャやローマからエーゲ海を越えてトルコの地に渡り、大きな石を運び、加工し、見事な彫刻を施し、しかも決まって大きな円形劇場をつくる。古代にあって大変な作業であったはずなのにここまで大きな町をつくる・・・しかも比較的近距離に・・・というエネルギーに驚くばかりです。何が彼らをそうかりたてたのでしょうか。
 

 



 
     広い範囲にある遺跡  発掘も復元もまだ進んでいないようです            朝からお昼寝のワンちゃん


 

この直ぐ右手に石灰棚が始まります


遺跡に咲く花

  


 


 
                                  ここにもチコリ。


さあいよいよ石灰棚です。ワクワク、ドキドキ。この旅で最も楽しみにしていました。

まずは裏手のほうから


表にまわりました。すでに大勢の人影が見えます
水を流していない棚も多い


 靴をぬいでそろりとはいります
ぬるい水!すべりやすい。裸足に小さな模様がちくちくと痛い。観光客が入ってもよい場所はごく一部のみ。



 
 自然の造形


上の模様はこのくらいの大きさ
たねまきのナマ足


 

この溝の中は熱いお湯が流れています。かなり速い。


これぞ求めていた風景!おぉ〜美しい。(~。~)↑↓地上にこんな景色があるなんてね。向こうはパムッカレの町。


ここよ、ここ。本で見た風景を見つけることができました。


 さよなら パムッカレ


「今夜はコンヤに泊まります」ガイド・ジワンさんのだじゃれを乗せてバスは一路コンヤに向けて出発しました。
420kmの行程です。

 
だんだん草木の生えない岩山、はげ山が多くなる。でも山のすぐそばまで人の手が加わっている。
肩を寄せ合って住んでいるような小さな町。
どんな小さな町にも立派なモスクがある
遠くの山は茶色の地肌を見せている。
畑というより牧草地かな?広い草木も生えない荒野を開墾している。所々に緑の木が植わっていて荒涼とした景色もどこかほっとさせられる。美しいとも思う。それが人の営みであろう。
 やっと車窓から花が見えた




まもなく休憩場所だったので、まずは周辺の草地で先に見た黄色い花を探した。
ありましたね。こんな株だち。十文字のアブラナ科ということはわかりました。
そしてここにも青い花、チコリが。

 
上の野草の写真を撮っていてトイレもちょっと遅れて行った。いつものように入り口にお金を集めるおじさんがいて50クルシュ。おや、その前にこんなにきれいな絞り咲きのオシロイバナを発見。また写真をとる。おじさんに「きれいねえ」と日本語で声をかけたらうなずいていた。ことばがわからなくてもきっと通じると思っていましたよ〜(~。~)



ここの名物のヨーグルトに蜂蜜をかけケシの実をちらしたもの
ガイドさんのお薦めもあったのでみんな食べている。
夫なんかもうほとんど食べ終えている。
あわてて私も注文。
急いで食べ終える。
忙しい。
Dinarにて


パッチワーク
木も生えない山のそばでも耕地が広がる。トラクターが大活躍。


KIRAZUBAHCEのレストラン


さて今日の昼食をご紹介しましょう。大体スープで始まってデザートで終わるこんなコース料理が多かったですね。トルコ料理がいろいろ食べられてよかったです。が、料理の名前はいまひとつ理解できておりません。
ホテルの夕食はビュッフェ形式(バイキング)でした。

 

 



これがチャイおばさんお気に入りのチャイ、トルコ風紅茶です。腰がくびれたガラス容器、これで飲むととてもおいしい。とくにこのお皿との組合せがいちばんよかった。で、チャイの容器も買ってこようと探したのですがこんなおしゃれなお皿がついたものはみつからなかくてね。。グランドバザールが開いていればあるいはあったかもしれません。とうとう最後帰りの空港の免税店まで持ち越し、結局は選択肢もなくてしかもたかーい!のを買ってくる羽目におちいりました。お皿もガラスで金色の模様つき(>_<)
これは心残りでした。。
こんなチャイセットを求めてまたトルコに行きたいなあと思ったりしたチャイおばさんでした。(コラ、コラ!)


 

これが私たちのバス。14人とガイドさん、添乗員さんを乗せてイスタンブールからカイセリまで1600kmを走りました。運転手さんはどうも断食を守っていたようで(食べたり飲んだりしているのを見なかった。ガイドさんはしっかり食べていた)、交代要員もいないし、重労働だったのではと心配でした。30日、カッパドキアの朝食にやっと私たちと一緒のテーブルについた姿を見て、「断食がやっとあけたのねえ」と私たちもほっとして話したことでした。物静かなかた。

目印に添乗員さんが持ってきたドラえもんの人形が前部ガラスにくっつけてあります。見えるかな?

ホジャおじさん
この町はアクシェヒル(Aksehir)。この日の行程のほぼ中間地点。(最初の地図を参照)
13世紀、これからお話しするホジャおじさんが住んでいたところです。

ガイドさんに聞くまで私はこの人を全く知らなかったのですが、トルコでは古くから誰もが知っていて、人びとの心にしっかりと生きている人物なんですって。
ガイドのジワンさんはひとつ小話を紹介してくれました。
 (要約) ホジャが隣家に大鍋を借りにいきました。その隣人は嫌そうに貸しました。ホジャが返すとき小さい鍋をつけて返したのでびっくり。しばらくしてホジャはまた大鍋を借りに行きました。今度は大変愛想良く鍋を貸してくれました。しかしいつまでたっても返しに来ないので隣人は返してくれと催促に行きました。ホジャは「気の毒なことにあの鍋は死んだよ」と言いました

「これはガンチクのある話です。」「ガンチクですよ〜みなさんわかりますか?」トルコの人にこう言われてしまいました。(笑)
はい含蓄ですね。ジワンさんはそんな難しい言葉を知っています。(@@)

私はトルコの民衆の心に生き続けるというホジャおじさんにとても興味をもちました。次の休憩の時売店でこの日本語版を売っていたので購入。10リラ。
トルコの人びとの生活、考え方が少しつかめるのではと思ったからです。
日本語版もつくられていることにも驚きました。

これが買った本です。111ページ

表紙はホジャが逆さまにロバに乗っている絵。ホジャを表す代表的なもの。
「ロバに後ろ向きに乗っているよ」と指摘されて彼は「ロバが逆に向いているだけなのです」と答えた逸話から。










ナスレッティン・ホジャ 13世紀の実在の人と言われています。この本によるとホジャとは「先生や説教師など共同社会の指導的人物につける尊称」であり「ホジャの小話は各地に広まり後世に伝えられ、トルコの人びとの生活の知恵と希望の源とさえなってきました。」と書いてあります。
ではたねまきが選んだおもしろい小話5選

 ○ホジャがある金持ちの家の宴会に招待されました。
いつもの粗末ななりで出かけましたら、だれも気をつかってくれません。
急いで家に帰り、とっておきの高価な毛皮の外套を着て、再び宴会に戻りました。
今度は主人が玄関まで迎えに出てきて、うやうやしく広間の上座に案内されました。
スープが出されると、ホジャは毛皮の外套の襟を持ってスープ皿に浸して言いました。
“さあどうぞ召し上がれ。どうぞ、遠慮はいらんよ”
そばにいた人びとが驚いてそのわけを尋ねると
“この家で大切にもてなされているのは誰だと思う?わしのこの毛皮の外套でしょうが。”

 ○ホジャが畑を耕していますと、足に大きなトゲが刺さったのです。
手を止めて、そのトゲを抜きながら呟きました。
“神様。ありがたいことに裸足でよかった。去年買ったばかりのゴム靴をだいなしにするところだった・・・”

 ○“あっちに行く者もいれば、こっちに行く者もいる。どうして人間は行ったり来たりするのだろう?”
暇な男の哲学者のような質問に、ホジャが確信を持って答えました。
“なぜかって、みんなが同じ方向にいったら、世界のバランスってものがくずれて地球がひっくり返るじゃないか”

○ホジャには息子が二人います。
ひとりは果樹園を持ち、ひとりは素焼きの壺などつくって暮らしています。
長男を訪ねたホジャが“景気はどうだね?”とたずねますと“今年はあちこち耕していろいろ植えたからね。雨を待ってるんだ。もし雨が 降らなかったら母さんを泣かせる事になってしまうな。”
ホジャは次男を訪ねて、今年はどんな具合か尋ねました。
“土をいっぱい捏ねて型をとったから、雨さえ降らなければ万歳だけど、もし雨が降ったら、母さんを泣かせる事になるよ。”
家に帰ったホジャに奥さんが息子達の様子を尋ねました。
“息子達はともかくとして、雨が降っても降らんでも、あんたが泣くことになるらしい・・・”

次は私が一番好きなお話です。
○ある夏の夜、ホジャが庭に出て水を汲もうと井戸の蓋を開けて見ますと、水に満月が美しく映っていました。
“井戸の底にお月さんが落ちているぞ!”ホジャはびっくりしました。
助け上げなくては・・・太い綱を持ち出し、端を鉄かぎにくくりつけて井戸の中にするすると降りて行きました。突然、鉄カギがはずれて綱がゆるみホジャは井戸の底に尻餅をついてしまいました。
井戸の底から見上げた空には、ぽっかりと満月が浮かんでいます。
“やれやれ、井戸に落ちたり、腰を打ったり、痛い思いをしたけれど、とにかくお月さんを助けて空に戻す事ができたようだ。よかった。”

 
アジズ ネシン まとめ(トルコ語)
タラト ハルマン 英訳
Takeko Harada 日本語訳
この本の中より挿絵と小話を引用させていただきました。

日本の一休さんのとんち話に通じるものがあるとよく言われます。機転がきいてユーモラス。でもホジャおじさんは年をとっているだけに?さらに社会的な風刺というか皮肉というか、ひとひねりしたおもしろさがあります。
この本によると「その意味するものや聞かせ文句がことわざにまで昇華したり、慣用句として定着したものがいくつもある」そうです。
私は挿絵に見るホジャおじさんが頭が禿げおなかの出た、愛嬌たっぷりの姿に親しみをおぼえました。それに絵に服装や家の中の様子をうかがえたりできてこの本を楽しんで読むことができました。



 
ひたすらこんな景色を見ながら走り、ようやくコンヤの街に到着。

コンヤは11世紀から13世紀にかけてセルジューク朝トルコの首都だったところ。トルコでは今10の指に入るほどの大きな街です。かつて政治、文化、芸術の中心として栄えた街。









  

ここはイスラム教神秘主義教団「メブラーナ教」のかつての総本山。
13世紀メブラーナ・ジェラレッデン・ルーミが始祖。現在はメブラーナ博物館。(トルコ共和国は政教分離)
建物に入るときはこんな靴カバーをします。フリーサイズ。

メブラーナ教はぐるぐる旋回しながら踊ることによって忘我の境地に達し神と一体となれるというもの。
旋回舞踊は円筒形の帽子にスカート(白い衣装)といういでたちで一心不乱に踊るそうです。もちろん男性。
博物館の中に等身大のリアルな人形がポーズをとっているのですが、その横で神学者のような思慮深そうな人が数人座っています。もちろんこれも当時を再現した人形ですが、それを見ていたとき端にいて本を読んでいた人が瞬きをした!びっくり仰天。ああ、あなたは監視員だったのですか。


メブラーナや聖者達の棺、美しい装飾をしたコーラン、極小の細い字のコーラン、500年前のトルコ絨毯など。

バスから見たコンヤの街の様子




町中の青空マーケットでしょうか。すごいにぎわいです。まだ断食中。きょうは日曜日。だからでしょうか?

女性はスカーフをかぶっている人が目立ちました。
コンヤは今もっともイスラムらしさがある街だそうです。カラタイ神学校の前にひげのおじいさんが一人座っていました。顔色も悪く、元気がなさそう。いかにも断食中という感じ。大丈夫なんだろうか・・・・












 


先にも書きましたがこのツアーはイスタンブールのグランドバザールに行けないので(休み)ガイドさん添乗員さん運転手さんのせめてというご好意で特別に、大きなスーパーマーケットに寄ってくれました。コンヤの中心地にある大きなスーパー。
こういうのはおもしろい。

 レジ
←スイカ 1kg 0、35リラ
うちの畑のスイカは特大で9kgだったから300円か、安い!
                                  本日の目玉?どこのスーパーも同じですね。↑

コンヤ リクソス(RIXOS) ホテル



 


ディナーショー
真ん中のかっこいい男性、張りのある良い声

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