母の歌集『ふりさけて弥高山』を刊行しました。

2009年5月1日

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 「るりいちげ」のページは、亡き母赤木清香の詠んだ短歌をご紹介したく、HP開設当初からつくっていたものです。
しかしながら短歌の素養のない私には、膨大な歌の中から選び出すことも、編集することも困難なことでした。
気になりながら5年の歳月が流れて行きました。
 花日記にも書きましたが、2008年の秋、母宛に一通の手紙が舞い込んできたことからことは始まりました。出版社の方が図書館で母の既刊の歌集を目にとめてくださったというものです。すでに母は6年前に他界したことを伝えましたが、思いがけず高い評価をいただき、短歌を愛した母の人生の集大成として1冊の本にまとめてみないかというお誘いを受けました。
これまで6冊の歌集を刊行しておりましたが(いずれも自費出版)、仏壇の中に清書した未刊の歌集を見つけていたこともありまして、これを機会に遺稿集も含めて出版を思い立ちました。一番の難問だった既刊本からの選歌もやっていただけることになりまして、一気に実現の運びとなりました。
 あとがきについては私、たねまきが一生懸命書いたものです。表紙カバーの写真,絵、色なども希望を入れてつくっていただきました。選歌は編集者にお願いしたものの、差し替えや追加などこちらのわがままな希望も申しました。

昨日できあがった本が私どもの手元に届きました。

なおこの本は書店を通じて全国で発売されることになっています。店頭に出るのは6月の予定です。
インターネットのアマゾン、楽天ブックス、yahooなどでも購入することができます。これは5月下旬以降と聞いております。
出版社は文芸社、定価は1500円です。(ネット販売は1500円以上は送料が無料になるようです。お確かめ下さい)
よろしければ手にとってご覧くださいませ。

 

あとがきから抜粋(私の文章です)

・・・前略

 母は94歳の長寿を全ういたしましたが、約80年を過ごした郷里岡山を離れ、私どもと同居するため神戸に参りました。
 母が生まれ育ったふるさとは岡山県中西部の高原地帯にあり、今は過疎が進む町ですが、古くは高山市(こうやまいち)という市場町、門前町として栄え、頂上から中国山地を一望できる弥高山と水の清らかな谷を擁する自然の豊かなところです。そんなふるさとを愛し多くの歌を詠んだ母にとってそのふるさとを離れることは、老いのためとはいえ寂しいことだったにちがいありません。

 あらためて読みかえしてみますと、須磨の地に馴染もうとしながらもふるさとを思う歌が増え、「軒先にひと本育つ黄釣舟花咲くを見て須磨に帰らな」と自分を奮い立たせている歌に寂しさを見たり、あるいは「備中に杖忘れ来て飄々と小犬と歩く朝の散歩は」に在りし日の背中を丸めて歩く姿を思い起こしたりいたしました。古い牧野富太郎の植物図鑑を宝物にし、植物、とりわけ山野草について詳しく、短歌の中には野に咲く花の名前が多く出てまいります。「目立たざる草の花よし古里の黄けまんの花みぞかくしの花」はいかにも母らしい歌だと思いました。そして「道の辺に野菊の花を侍らしめ幻の人に逢いに行くなり」とも詠んでいます。

後略・・・

発行所 株式会社文芸社 東京都新宿区新宿1−10−1
2009年6月15日 初版第1刷発行
総ページ数227ページ
短歌約600首所収

タイトル『ふりさけて弥高山』は「陽の落ちし津々羅の里にふり放けて仰ぐ弥高は天にさやけし」から取りました。

弥高山とはどんな山なのか、本の中に私の従弟赤木信斎撮影の写真を載せていますのでご覧下さい。

右端が雲海に浮かぶ弥高山 海抜654m


山頂から見た雲海


なおこのHP、「トピックス」の中に「ふるさと」としても取り上げています。あわせてご覧下さい。


出版に至ったいきさつについて花日記に書いておりましたものをここにコピーしてまとめておきます。

2008年 10/11
さて天国に行ったおばあちゃん(母)宛に郵便が届きました。(@@)
もうおりませんから代理で私が見せてもらいました。差し出しは東京のとある出版社です。図書館で母の歌集『須磨の暦日』を見て、「ぜひ一度御著書に関しましてお聞かせいただきたく・・・」と書いてあります。
もう亡くなりましたの。。6年前に。
「また現在の執筆活動などにつきましてもお話を伺いたく存じますので・・・」
・・・
せっかくのご連絡でしたが私のほうから事情を伝えました。どういう話だったかはわかりませんが、母の歌集を目にとめてくださったことは確かです。ありがとうございます。
来月母の7回忌を営みますので報告してあげようと思っています。びっくりするだろうな??

今、まさかと思いながら検索してみたらありました!これまたびっくりです

2008年 11/26


先日亡くなった母宛に東京の出版社から手紙が来た話を書きましたね。その後です。
丁重にお礼を述べ母がすでに他界したことを伝えました。図書館で母の歌集を見て下さって注目してご連絡くださったそうです。他の本も見たいとのことで手元にあったもう2冊を送りました。それについて「原稿審査担当部門にて丁重に拝読しできばえやおもしろさを評価申し上げると同時に、公共性、刊行の意義、社会的ニーズ、最も大きなファクターとして読者獲得の可能性を検討いたしました」として詳しい作品の講評をいただきました。

ふるさとにあって常に仰ぎ見てきた弥高山(やたかやま)が母の歌には多く詠まれています。
以下書いてくださった講評から弥高山の歌に関しての一部を引用させていただきます。

・・・そこには山の姿、そして作者の清らかな心をそのままに詠んだ印象深い歌が多い。『陽の落ちし津々羅の里にふり放けて仰ぐ弥高は天にさやけし』、「ふり放けて」は、万葉集によく使われるが、その意味は“遙か遠くを望む”“ふり仰ぐ”である。作者の弥高山に対する敬虔な思いが、この行動を示す古語によって見事に表現されている。そして、下の句「仰ぐ弥高は天にさやけし」によって、その思いは昇華するのである。天に向かって幾許の汚れもなく聳える弥高山、それを見る作者の心はすがすがしさに満ちていたのだろう。
『弥高山百首』の序によれば、作者は10代で歌を詠み始めたが、神の山を詠むにはあまりにその対象が大きすぎたために、「試みたが、どうしても収まらなかった」のだという。それから数十年後のある日、「山霊に洗礼されたように」不思議と収まるようになり、それからは堰を切ったように珠玉の賛歌が出来たというのだから、なんとも興味深い。山を敬い、心から愛する作者にだからこそ、山は全てを披瀝してくれたのかもしれない。・・・後略

「豊饒な味わいを湛えた魅力的な作品群であり、数多あるという「本に出来なかった歌」にも興味が尽きず、既刊本から精選した作品に未発表作品を加えて集大成的な作品を編むことをお勧めしたい」
とありました。
思いがけず身に余る講評をいただきいささか驚きました。専門の方にこのような評価をいただいたことは光栄でありますし、大変うれしいことでもあります。
これまでは自費出版でしたが、流通に乗せた「全国規模での出版」ということだそうです。
作品を選び構成することは素人の私にはとうてい無理なことだと思いますが、実現の道はないものか考慮中です。
このHPのトップページに「るりいちげ」をつくっていて、ここに母の短歌をまとめたいと当初から思ってはおりましたが、歌が多すぎて、私には荷が重すぎて、ずっと工事中のままでした。未発表の作品群があるので遺稿集としてwebでまとめるのも今風でいいかもと考えておりました。
もしこういう形で実現できれば長年の課題が一気に解決できるのですが・・・
先日の7回忌で、こんなお声がかかったよと亡き母に伝えてきました。(~。~)



2008年11/28
今日は調べものがあって神戸市立中央図書館に行きました。ついでにふと思い立って短歌の棚を見ました。このところ母の歌集が思いがけず話題になったものですから。ありました。並んでいました。(^o^)v
『風の通る道』これは第2歌集です。地元がテーマの『須磨の暦日』はありません。なぜかな。あとで寄贈を申し出ようかな。この本こそ出版社の方が目にとめてくださったものですから。
背表紙に名前が書いていないのは失敗かな?と思いました。著者は赤木清香(あかぎきよか)です。
家で本を出して見てみましたらちゃんと背表紙にも名前が書いてありました。下の方なので図書館の整理のシールで隠れていただけでした。よく見たらシールの上に少しだけ字が覗いていますね(^^?
これはもう少し上に書くべきでしょうね。