乳ガン

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2003年5月、とんでもない病気がみつかりました。まさか、まさかの乳ガンです。
「クラスXです。残念ながら悪性です。すぐに手術を」日赤分院のT医師の宣告です。
それから病院探し、検査、入院、手術とあわただしく過ぎていきました。そのころは手術して悪いものをとれば大丈夫だろうと安易に考えていた私は入院生活を楽しんだりしていました。しかし退院して本やネットで病気について調べていくうちに、知れば知るほど大変な恐ろしい病気であることに気づきました。手術は治療の始まりにすぎません。
夢なら覚めるけれどどうあがいても逃れられない。ならば事実として受け入れ乳ガンとしっかり向き合って生きていこうじゃないか。そう、私の新しい人生のはじまりです。

国立病院の主治医S先生はとっても信頼できる若手の腕のいい外科医です。この先生に出会えたことはほんとうに幸運でした。以後手術、抗ガン剤、ホルモン剤の使用、各種の検査など最新の医学を駆使して慎重に治療を続けてくださっています。この病気は10年間病院のフォローを受けます。生きていればの話ですが。だから主治医との相性がとても大事なんですって。
リンパに一つ転移があったため抗ガン剤をすることになりました。CEF6クールです。脱毛は避けられない。
myDr.は「薬が終わったら必ず生えてきますからね。それまでかつらや帽子で工夫してくださいね。」しっかり私の目を見て言われました。「はい」私は素直な気持ちでうなずきました。
そしてついにかつらとなった初日、「よく似合っていますよ。全然違和感がありません」とDr.がにっこり。私は抗ガン剤を受けてきたというのに ルンルン気分で帰ってきました。
「がんばってください」ではなく「一緒にがんばりましょう」と言ってくださるのがmyDr.です。

転移や再発の不安はいつもどこかにつきまといますが術後1年4ヶ月の今、これまでと同じように懲りもしないで種まきをしてたくさんの苗を育てています。オープンガーデンもやりました。ほんとうに先のことはわからない。私達ガン患者は未来が読めないのです。それがいちばんつらいかな。今このときを大切に、楽しい時を積み重ねたいと思っています。まわりにいる家族、友人、そしてお花たちにもありがとう。ありがとう。

みなさんはピンクリボンの運動をご存じですか?乳ガンは早期発見が大切です。誰にでも起こりうる病気です。
こわがらないで,面倒がらないで積極的に検診に足を運びましょう。

これから乳ガンとともに生きていく私が、その記録と折にふれて思ったこと、感じたことを書いていきたいと思います。

20041001

乳ガンの記録

1,発見、手術、退院まで  2,病理検査結果とその後の治療  3,1年経過以後、
                                         徒然なるままに・・・@・・・A  ・・・B

     

new 2015年3月1日
こちらは久しぶりです。その後どうしているのかご心配の向きもあるようですので近況を記しておきますね。。
術後今年で12年を迎えます。幸いなことに再発もなく元気で暮らしております。花日記をご覧下さっている方はご存じのとおりですが
やりたいことをやり、行きたいところへ行き、気ままに、めいっぱい日々の生活を楽しんでいます。
こうしてそう書くことができるのはほんとうに幸せなことです。ありがたいことです。
病院はもう二年に一度でよいと言われて、もう忘れそうです。(笑)
ほんとうに忘れてしまうことができればいいのですが・・・まあガンですから。。(^^;)
そんなわけでどうしているかな、というときはどうぞ花日記の更新をチェックしてくださいませね。
 

                                            

2003年
5/15
発見
M外科
真夜中に「ん?なに?これ 」 お風呂でしこりを発見(左乳房)。
朝いちで近所のかかりつけのM外科へ。日赤へ紹介状を書いてもらう。
そのままスタッフとして活動中の花ネットの行事があって不安な気持ちを抑えてそちらへ。
        
5/16 日赤分院 日赤分院へ。細胞診(太い注射針で吸引)とエコー、胸部レントゲン、マンモグラフィーはなし。水がたまっているだけなら心配ないですよ。ところが血性のものが。これはよいことではない?結果は1週間後。
5/23 「クロ」の判定

国立病院
「クラスXです。悪性です。すぐに手術を」ガーン。「ここの日赤は統合されて手術はしなくなった。どこでしますか?」そう言われても・・・とりあえずM外科に戻り病院の相談。M先生は昨日すでに結果を聞いていた由。どちらが私に話すかということになったらしい。術後も通院が続くので通いやすいことも重要とのこと。その場で国立の院長先生に電話して頼んで下さった。診察時間は終わっているけれどすぐに来なさいと。タクシーで日赤にもどり紹介状をもらって国立へ。院長先生が待っていてくださり診察。マンモからも明らかで6/9入院、6/12手術。つづいて手術のための検査をいろいろ。エコーのK先生「温存か全摘出か微妙なとこですなあ」。温存なら正常な組織をぐるり3cmつけて切る。つまり私は径9cm!心電図がひっかかり心エコーが追加。骨シンチとCTは後日。夕方になって手術日が16日に変更の連絡。
5/25   日赤から細胞診のプレパラートを借りてくるよう看護婦さんから電話あり。手術が遅れることについての不安を訴える。K先生が電話に出て下さって「心配ないから」。
そう言われても不安なんですよねえ。M外科に行って同じことを訴える。「今度院長にあったら早くしてと言っておく」
乳ガンは進行の遅いガンで1月そこいらの手術の遅れは問題ないと知ったのは(勉強して)ずっと後のことである。なお乳腺のK先生は月末で転勤されたとか。二言三言話しただけだった。手術が遅れることもその辺の事情だったか?
5/28   国立から「入院が早くなりました。言ってみるもんですねえ」と看護婦さん。つづいてM先生からも「6/3入院、6/6手術」の連絡が。じつは前日、バスで出会ったM外科の看護婦さんにまた不安を言ったものだからM先生が再度お電話してくださったのだ。持つべきは「M先生」です。かかりつけのM先生は母が生前ずっとお世話になっていて、寝たきりになってからは自宅に往診をしてくださっていた。
5/29   心エコー。その足でプレパラートを渡しに外科外来へ。この中にガンが入っているのだ!また看護婦さん、「言ってみるもんですねえ」
    入院までに片づけておかねばならないことがいっぱい。家の片づけ、掃除はもちろん庭の整理、とりわけ育苗中のたくさんの苗の嫁入り先を決めること。花ネットの苗交換会に4ケース・市民花壇ふるーるに1ケース。あと庭に植え込めないものを通りがかりの人にもらってもらった。それで忙しくて結局家の片づけはできないまま・・
まあ生きて帰れるだろう。

6/3
入院 入院時間が14:00から10:00に変更になり気分的にあわただしい。花ネットのスタッフのみなさんには日頃ネット会議をしている掲示板でご挨拶。親しい友人、親戚、M先生に行って来ますコールをした。とりわけ岡山の郷里で医者をしている従弟にはいつもなにかと支えてもらっているので電話したら涙が出てしまった。本家の○○ちゃんありがとう。
タクシーを呼んで一人で入院。
    3階の明るい二人部屋。きのう胆嚢の手術をしたHさん。おだやかなかた。
主治医のS先生と初対面。着任されたばかりらしい。診察。「乳頭に近いですねえ」
6/4 インフォームドコンセント 夫が予定の時間になっても到着せず,やきもき。携帯もつながらない。主治医は「ぜ〜ぜんかまいませんよ」とは言ってくださるけれどほんとイライラした。エレベーター前で今か今かと待っていたらなんと知人が。元の職場の同僚です。ご主人が同じ階に入院中とか。以後このKさんにはよく声をかけてもらった。この方のおかげで入院生活は楽しく、不安など感じることもなかった。感謝です。
さてやっと夫が現れて、Dr.はマンモのフィルムを見ながら丁寧な説明。約30分。ムチン性のガン。あとで本で調べたところ粘液がんのこと。少ないタイプ。タチはいいらしい。乳頭に近いので「僕の母親ならば全摘をすすめます。」私は何の迷いもなく「全摘」を選択。これはその後一度も後悔していない。胸筋温存乳房切除術(全摘出)。腋下リンパも切除。
6/5   明日午後1時から手術。学生を連れた薬剤の先生、麻酔科の先生、手術室の看護婦さん来訪。忙しい。麻酔の場所に×印2カ所(手の甲と背中)。安心してねと。
入院してから肺活量をふやすために?吹いたり吸ったりの練習をしている。
夜9:00,胃薬、下剤、安定剤服用。でもすぐには眠れなかった。
6/6 手術 今日午後1時から手術。昨夜9:00から絶食、水は朝9:00までOK、7:00浣腸。9:00麻酔の×印にシール(表面麻酔)、11:00安定剤?1錠、手首に名前。あとは1:00を待つだけ。その前に実はおっぱいの記念写真を撮った。自分でデジカメで撮ったがうまくいかない。看護婦さんにお願いして撮ってもらった。こっそり記念にするつもりでいたが、パソコンに入れていたら後日息子に見られてしまった!大失敗。こうなってしまったらもう削除もしないで堂々とファイルに保存しているのだ。
歩いて手術室へ。夫と息子に手を振った。
手術室をよく見てやろうとめがねを持っていったが入ってすぐに置くところがあり、それからはコンタクトをしない私にはぼ〜っとした世界。広くて、明るくて、BGMが流れていて、ピンクの服の看護婦さんがにっこりしていて・・・手術台に上がるときDrが目の前におられたので「よろしくお願いします」。手術着を着て手袋ををはめた手を上に。わ〜ベンケーシーだ!(ちょっと古いかな)。背骨の麻酔が痛かった。「この手術で痛いのはこれだけです」と麻酔の先生。後はもう覚えていない。
目覚めて時間を聞いたら夜中の12時とのこと。よく眠っていたようだ。覚えていないだけ?ナースステイションの隣の部屋らしい。一晩中看護婦さんがあわただしく出入りしていた。長時間同じ姿勢でいたからか体がコチコチだがとくに痛くない。不思議。
6/7   朝食が出た。味のないお粥と大きな菜っぱの入ったみそ汁。少し食べたところで吐き気。ナースコールが届かなくて(ベッドを起こしていたから)タオル2枚でしのぐ。手術後着せてもらっていたゆかたも胸帯も汚れて、もうパジャマに着替えた。トイレの許可が出て1回目のみ看護婦さんについていってもらう。お昼は見もしないでパス。
午後元の部屋に歩いて帰る。ほっとする。体内からドレーンという管が2本出ていて、体液が袋に溜まる。ポセットに入れてぶらさげている。もう自由に歩けるし気分もよくほんとに切ったの?というくらい。手術室から出てきたのは6時前だったと家族にきいたからDr.に倍の時間がかかったのは何か問題が?とうかがったら「神経を切らないようにがんばりました。」と言ってくださった。ありがとうございます。
午後はお隣の見舞客にいただいたコンペイトウがおいしくて1粒ずつ食べていたら晩ご飯が食べられそうな気がしてきた。というわけでそれからは食堂で普通食。
6/8   千客万来。遠くは岡山から従弟が。見送りにナント駐車場まで行ったのだ。平気で歩いている!
6/9   男性の看護士さんにシャンプーをしてもらう。4人部屋へ移動。
廊下を歩いて気づいたのだがまっすぐ歩いているつもりがどうも右のほうへいってしまう。おっぱいが一つになってそれが大きい部類だからどうもバランスがとれないようだ。気のせいかも。
6/10   ドレーン2本を抜く。隣に同病のEさん入院。このかたとはガン友として以後ずっと親しくおつきあいしてしている。心強い。
6/12   Eさん手術。彼女は術前化学療法をして小さくしてから温存。私より1時間ぐらい短かった。
この夜からご当人しっかり。
6/13   見舞客多し。Eさんとっても元気。
    術後はずっと手をあげるリハビリをつづけている。リンパをとっているとだれもが通る道。早くに150度までいったのに、すこし下降気味。わきが腫れて痛い。
縫合は溶ける糸でしてあるので抜糸はいらない。よかった。
6.17 退院 退院の準備は早くに出来ていたけれどDr.が「いつ帰りますか?」と気にされているようす。夫と娘が来ていよいよというとき、先生が廊下のすみっこに手招き。病理の結果が出て「浸潤性乳管がん」に訂正になったこと、、「1つだけ」に力をいれて「惜しいんですがリンパに入っていたので抗ガン剤をしましょう」といわれた。
退院の喜びも半分になった。娘の運転で帰宅。
着て帰ったTシャツを脱ごうとしてどうしても脱げない。手が上がらないとこんなこともできないのだ。


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